· 

「小集団で対面の勉強会」をやろう、松下村塾のように 桐村晋次(元法政大学キャリアデザイン学部教授)

時代が大きく変わろうとしている中で、学び方も変わろうとしています。私たちはどのように学んでいけばいいのでしょうか?日本が発展してきた様子を見ながら自らを育ててきた桐村晋次さんと「これまで」をふり返りながら、大切な考え方をお聞きしました。

桐村晋次(元法政大学キャリアデザイン学部教授)
桐村晋次(元法政大学キャリアデザイン学部教授)

学び合う、受け身にならずに

―キャリアコンサルタント(CC)の講座で、桐村さんの講義を聞きました。「むかしの職場は、今ほど教育は整っていないが、みなアンテナがとても高く、学びに貪欲だった。」CC講座で、一番心に残りました。

今の教育は、子どものころから「教わったことを覚えて、試験を受ける」というやり方ですからね。自分なりの問題意識が育ちにくいのです。大卒も勉強しなくなりました。つい最近、30代の若手を連れて、ロサンゼルス、メキシコを回りましたが、ベトナム戦争を知らない者がたくさんいました。試験に出なければ興味がないのでしょう。

―単刀直入にお聞きします。私たちは、これからどのように学んでいけばいいのでしょうか?

「小集団で対面の勉強会」をやるといいと思います。私もそれで育ちました。初期のソニーやホンダもそう、みんなそうです。

―桐村さんは下関のご出身ですね。幕末で言えば長州藩、吉田松陰の松下村塾があったところです。松下村塾は、まさに「小集団で対面の勉強会」ですね。

当時の長州は、人材がいっぱい出てきました。松陰以外は突出して優れたリーダーはいないのですが、松陰亡き後は久坂玄瑞や高杉晋作、その後は伊藤博文や山縣有朋などが育ちました。


吉田松陰は、自分がいなくても塾生が自力で育っていくシステムをつくりあげました。武士だけでなく、商人や農民も受け入れて、「教える」でなく、子弟がともに学び合う「子弟同行」を基本姿勢としていたのです。

―当時、藩のエリート武士は「明倫館」へ行っていました。一方の松下村塾は、小さな「私塾」です。当時の見方としては、明倫館は「すごいね!」、松下村塾は「何それ?」って感じじゃないかと。

まあ、そうですね。

―長州で明治維新の立役者は、圧倒的に松下村塾の出身者が多くて、150年経った今、松下村塾は世界遺産になっています。明倫館は、誰も知らない。。。

いや、地元の者は、みんな知ってますよ(笑)。

―失礼しました(笑)!明倫館は「教える」、松下村塾は「学び合う」ですね。今のような変化の時代に、「小集団で対面の勉強会」がいかに大切か、歴史が物語ってくれているのではないでしょうか。



自発的に学び、キャリアの土台を築く

―いつまで下関にいらっしゃったのですか?

下関で生まれて、高校までです。戦争中に空襲があり、生家が焼けて、長府(下関の郊外)に引っ越しました。田舎ですから、小中学校が1校だけ、9年間みんなとずっと一緒でした。その中で、高校へ行った女性は3~4割、男性は5割くらい、大学にすんなり行けたのは、女性では1学年で1~2人くらいでした。

でも、地元の友人たちと一流大の連中とどちらが優秀かは、わからないと思います。丁稚奉公して住み込みで働いた人たちは、今でも生き生きと働いていて、町の役に立っています。東大の友人で官僚として昇進し、定年後も民間や国の機関に天下っている人と、地元に残った人たちの両方の姿を見ていると、人生とは何だろう、どっちが社会人として有益な人生を送ったのか、と思いますね。人に決められた道を要領よく進んで、上の者の覚えがよくて上がっていくのと、何でも自分でやらなければならないのとでは、人間の品格に大きな違いができてくるのでしょうね。

 ―東京に出て来られて、古河電工に入社されました。当時、どのような会社でしたか?

若手を育てるシステムのある会社ですね。定時後、若い世代が「すみません」でなく「行ってきます」と言って(笑)、夜間高校や夜間大学へ行っていました。社内に大卒扱いに切り替わる試験もあり、みんなよく勉強し向学心がありました。

当時は、会社ぐるみで人を育てていて、その議論の「場」が、職場の小集団活動です。QCサークルや改善提案活動の原点、日本のお家芸ですよ。

私たちの時代は、100人弱の大卒の新入社員の全員が工場に実習で配属される、「教育配属」という制度でした。2年目の3月に、今後どのような仕事に就きたいかの面接がありました。今でいう「キャリア面接」です。1人30分ずつ研究したことを発表して、それを各部署から聞きに来てくれる。だから、本人の希望を聞いて配属先が決まっていました。ある意味、キャリアプランを自分で立てて人事部門と相談していた感じです。よくできたシステムでした。

工場実習は、私のキャリアの土台です。魅力的な人にたくさん出会えました。義務教育は小学校までの時代に育った人が多く、自己啓発で成長してきた人たちです。人間としての生き方について、強く影響を受けました。先輩たちの仕事を見て、メモを取って、自分自身でマニュアルを作成し、問題意識を持って、自分たちで勉強して臨んでいました。ここで鍛えられたことが、本当に代えがたい経験です。

―管理職になられてからは、若手の育成にも精力的に関わり、多くの著書も残されていますね。

そのころは、上司が部下一人ひとりの育て方をよく考えていました。上司の役割は仕事の成果と部下の育成です。この部下をどう育てようか、ということです。私も、例えば執筆の依頼が来たときには、部下たちに手伝ってもらいました。時間を与えてまとめて来るように言えば、ちゃんと書けますよ。ちょっとだけ背伸びした仕事を与えると、どんどん伸びます。今は、チャンスをあまり出していないようにも思えます。

インタビュー中の桐村さん(右)と上坂浩史
インタビュー中の桐村さん(右)と上坂浩史

―受身になりきっているということでしょうか。

 「教わったことを覚える」教育では、どうしても受身になるのでしょう。

子どもなんかも、私たちのころは、「子どもは遊びの天才」と言われていて、原っぱに行けばいつも新しい遊びを考え出していた。今は、スマホのゲームが盛んだけど、遊びのルールは誰かが決めたもので、その範囲で一生懸命になっている。それだと、問題意識が育たず、本当に必要な情報にも気づけない。スマホで年がら年中縛られていて、スマホは自分が興味のあることしか見られない。

大人も、むかしは喫茶店などでサボっている人も多かったですが、その時間も仕事のことを考えていたものです。今はそのような休憩タイムが持てず、上司の細かい指示の下に、受身になっているのかもしれません。自分の中で問題意識を育てる機会が、ますますつくれなくなっている気がします。


自分で機会をつくる

―受身でなく、自発的に学ぶことが大切ということですね。

そうですね。いろんな人と一緒に勉強して、知恵を交換することが大切です。

20代のころから、毎月いろいろな勉強会をしました。テーマを決めて、交代で話してもらう。担当者は色々勉強してきて、しっかり発表しますよ。仕組みを作ることとみんなで話す場をつくることが重要です。読書会もよくやりました。この人の話が聞きたいから呼んできて聞こうという活動も続けました。本を読んで、大学教授やエコノミストなど専門家を訪れたりしました。

60代になってからは、大学でキャリア形成の講義も始めました。相手が若いでしょう、成長を続けます。はつらつとしていて、気持ちいいですよ!

―機会は自分でつくっていく、ということですね。

 その通りです。キャリア理論では、「機会遭遇理論」です。若いころ、海外に行きたいと思っていたら、私の希望に気づいた上司がおしえてくれました。平成天皇のご成婚記念にできたものですが、政府主催の「青年の船」の団員募集が新聞に載っていました。最初は先方にダメだと断られていたけど、幸運なことに、半年後に乗れることになりました。30歳そこそこでの初めての海外、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアに行ったね(1ドル360円固定レート、大卒初任給が2~3万円程度で、海外に行く人がごく少数の時代)。

「チャンスをどう広げていくか」、これがポイントです。このときは、新聞社へ行き、記事にしてもらえるよう、こう頼みました。「ビルマに行きますが、何かあれば遺族から預かります。」ビルマは今のミャンマーで、太平洋戦争の激戦地だったところです。全国から、多くの手紙や大切な物をお預かりしました。洋上で慰霊祭も行いました。まだ戦後20年ちょっとでしたから、遺児がたくさんいました。夫が出征したときにお腹の中にいた赤ちゃんの花嫁姿の写真を置いてきてほしいとか、婚約者が戦死した女性が自分の髪を切ってビルマに埋めてきてほしい、とか。

*「機会遭遇理論」 ― 「個人があることを選択できるかどうかを規定する主な要因は、機会に出会うかどうかである」という理論である。我々の日常には、たくさんの情報が飛びかい、多くの人との出会いがあるため学ぶ機会は多いが、それを自分の成長に役立てようとしうるか、そのまま見逃してしまうかは、本人の日頃からの心構えと準備による。(桐村晋次著「吉田松陰 松下村塾 人の育て方」より引用)

インタビュー後、左から上坂浩史、桐村さん
インタビュー後、左から上坂浩史、桐村さん

―最後に、これからどのように学んでいけばいいか、もう一度お聞かせください。

 自分が何を学びたいかを見つけないといけません。学びの組織を自分でつくるのがいいです。「私の学校」にして、読書、TV、大学の公開講座など、いわゆる「学習インフラ」を集めたマイ・ユニバーシティという学習プログラムをつくり、自分だけの時間をつくって、さまざまな「学習インフラ」を活用して学ぶといいです。

そして、小集団で対面の勉強会。1人だとできないけど、一緒だと人脈も広がります。「for you」から「with you」、昔から日本人が行なってきたことです。勉強会で自分が知らない話題が提案されればショックで、すぐに調べたものです。そうやって知識・情報を得ていました。

小さい単位だと、動きやすいのです。ぜひ、少人数で対面集団をつくり、意見交換すればいいと思います。松下村塾のように。


ーーーー桐村さん プロフィールーーーー

1937年下関市生まれ。1963年東京大学法学部卒業後、古河電気工業に入社。人事部長、取締役経営企画室長、常務取締役を経て、古河物流社長。この間、筑波大学大学院(夜間)カウンセリング専攻修了。神奈川大学経営学部教授、法政大学キャリアデザイン学部教授、同大学院経営学研究科教授、神奈川大学特別招聘教授、日本産業カウンセリング学会会長、人材育成学会理事を歴任。

――――――

インタビュー担当:上坂浩史一言映子、書記:片山俊子

インタビューを終えて

CC講座を受けたときから、ずっと桐村様のお話をもっとお聞きしたいと思っていました。先生のお話の中に、今不足している大切な何かがあるのでは、と感じたからです。システムやテクノロジーが発達した、その一方で私たちが大切にしたいことをお話しいただいたように感じました。(上坂)