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ヒトは「天職」を20は持っている 杉田 淳(書籍編集者)

どんな仕事を選ぶか、今している仕事は 自分に向いているのか?、「天職」とは?、自分に合った仕事を、どのように見つけ何を大切にして、身に付けていけばいいか?、編集者として、本をつくってこられた杉田淳さんにお話をお聞きしました。

インタビュー協力:KTベアーズ(横浜市中区相生町 自由に楽器を演奏できるミュージックバー)

やることすべて、向いてなかった

―学生時代の専攻が合ってなかったとのこと、意外に聞こえます。詳しくお聞かせいただけますか。

高校は進学校ではなくて工業高校の電気科だったんですよ。授業に「実技」があって、作業服を着るんです。それがイヤでね(笑)。電気工事の試験も受けだんだけど、受験生の半分以上は受かる試験にもすべっちゃって(笑)。電気、向いてないなぁと思いましたね。

大学では応用化学をやったんだけど、やっぱりおもしろくない。おもしろくないから授業にでない。

それで、ヒマを持て余して、映画館に行くかパチンコばかりしてました。10時開店と同時に映画館に行くかパチンコ台に向かう。で、夕方帰宅。そんなとき、たまたま入った書店に行って見つけたんです。五木寛之さんの『ゴキブリの歌』というエッセイ。腹を抱えて笑いました。本を読んであんなに笑ったのは初めてでしたね。その前の本のイメージは、夏休みの課題図書で、おもしろくない本を原稿用紙2枚にまとめよ、なんて宿題に四苦八苦していて、本はおもしろいものとは思えなかったんです。ですから五木寛之さんが本の扉を開けてくれました。それからしばらく、五木寛之さんの本ばかり読みました。『青春の門』や『さらばモスクワ愚連隊』とかね。五木さんのエッセイの中にいろいろな作家の人たちが登場してくると、そういった方たちも読んで、世界が広がりましたね。


―夢中になって、のめり込むように読まれたのですね。

大学に入って初めて、のめり込めるものを見つけることができたんです。うれしかった。いままでずっとやることなすこと向いてないと思っていたので。今から思えば、夢中になれるものにしがみついたということなのかもしれません。このころから、書籍関係の仕事につければいいな、と思うようになりました。

就職活動は、応用化学出身者が受けるところは食品会社とかが多いのです。なので、受けましたが一次ですぐ落ちました。大人はわかるんですね、こいつやる気がないと。なら「どうせ受けるなら、行きたいところを受けてきっぱり落ちよう」。そう思って、たまたま見つけた楽譜出版社(シンコーミュージック)を受けたら、受かったんです。一番倍率が高かったのに。

―どのくらい倍率が高かったのですか?

200倍でした。他は全部落ちたんですが。

―それはすごいですね!面接でどのようなお話をされたのですか?

素直になんで食品会社ではなくて、出版社を希望しているかを話しました。それと音楽はそれほど詳しくなかったんですが、唯一、ビートルズだけは詳しかった、兄貴の影響でね。「ビートルズが好きだ」という話をしましたね。そしたら、後になって知った話ですが、ビートルズの版権を持っていた会社だったのです。偶然のマッチングでしたね。

―その会社に入ってがんばられたのですね。

 6年間勤めました。それで異動になったのを契機に転職しました。もともと音楽(楽譜)でなく文字ものをやりたいと思ってましたので。35年前のことです。そのころの転職のイメージは、社会からの脱落者という感じでした。けっこう勇気がいりました。

 その後、当時40人くらい人がいた編集プロダクションに行きました。給料は下がって、仕事量2倍、会社での寝泊まりは当たり前でしたね。段ボールで寝ると結構暖かいということはここで知りました(笑)。でもそこで、百科事典などを編集していた渡辺さんという上司から、ベーシックな編集技術を叩き込まれました。とてもありがたかった。楽譜の出版社では習得できないことでしたから。

―転職してよかった、ということですね。

結果的には、よかったですね。早く一人前の編集者になりたかったですから。

たまに編集の仕事についていなければ、何をやっていたんだろう?と考えることがあります。じつは、大学生の就職活動のとき、もし全部落ちたら、親戚の人から名古屋の鋳物工場にこないかと誘われていました。ありがたい話で、就職活動が全滅したら、当時はお世話になろうと思っていました。もし鋳物工場に行っていたら? 時々、ふと考えます。たぶん、一人前の鋳物職人を目指して働いていたんじゃないか? 鋳物の仕事の中におもしろさを見つけて、ちゃんとした鋳物職人になろうとしたんじゃないかと思うんです。実際は、経験していないので、わかりませんけどね。



人には「天職」がいくつもある

渡部昇一先生の書籍を作っていたとき、スイスの哲学者カール・ヒルティの言葉がありました。「難しくてもいずれ面白くなるのが仕事。楽しくてもいずれ飽きるのが遊び」って。言い得て妙だと思いました。編集に限らず、仕事は何でも初めは難しいですよ。失敗するし、目の前にすぐにカベができるし。

この年齢になって思うんですが、天職って、人は20くらい持ってるんじゃないか、そう思うのです。なにかのきっかけでその中のひとつに引っかかって今があるだけだと。たとえば、大島渚監督もじつは映画監督を目指していたわけではないし、三船敏郎さんも始めはカメラマンになりたくて映画の世界に入ってきた。その中でおもしろさを見つけてがんばっていく中で、「天職」になったのではと思うのです。

ただ、人間は万能じゃありませんから、合わないものもあります。僕も何度もやりましたが(笑)、何やってもおもしろくないですよ。ぼくの「電気」もそのひとつ。集中できないんですよね、つまらないから。一所懸命向いてないものをやるより、向いてるものを見つけて、夢中になってやるほうがいい。そう思います。


―向いてるかどうかは、「夢中になれて、達成感を感じることができる」でしょうか。

そうです。ただ、ちょっとかじったくらいでは向いているか、向いていないかはわからないと思います。全力でやってみないとわかりません。大変ですけどね、その大変さを乗り越えて達成感を味わえるなら、数ある天職の1つに出会えたと思っていいのではと思いますね。そのためにも、目の前の仕事を必死でやってみることが大事だと思います。


相手を慮る想像力が大事

―向いていることを見つけて、どのように取り組んでこられましたか?

編集者って、人様の能力をお借りしてする仕事なんです。ですから常に相手が動きやすい、気持ちよく動けることを考えていないと、成立しない仕事なんです。著者、デザイナー、ライター、校正者、本を売る営業担当など、色々な方々がいて成り立つ仕事なのです

 庭園デザイナーでもある枡野俊明住職がおっしゃっていたことです。たとえば「お茶を出す」という仕事。ただ出すだけか、相手のことを慮って(おもんぱかって)出すのとでは全然違うものだとおっしゃってました。想像力を持てば、お茶の出し方ひとつでも、その人なりの工夫ができると。会議が長引いていたら、暖かいお茶をまた出してあげたほうがいいかな、と考えたりね。目の前の仕事にどのように対応するかで、結果は全然違ってくる。冷めたままのお茶を飲むのと、新しいお茶を出されたときとでは、お客さんの印象はずいぶん違いますよね。想像力はどの仕事でも大切だと思っています。

結構前ですがすごく印象に残った出会いがありました。週刊SPA!で現場編集者だったとき、「マンガから見る90年代」という企画をやっていて、タイトル部分に吉田戦車さんの漫画を使いたいと思ったのです。使いたい吉田戦車さんの漫画は小学館から刊行されてました。貸してくれるかなぁ、と思いましたが、当たって砕けろで、電話したんですよ。そしたら、小学館で当時取締役だった、有名な白井編集長(ビックコミックスピリッツ初代編集長)が直々に対応してくれたんですよね。で、改めてお願いすると「おい!こいつに対応してやってくれよ!」って。その後、吉田戦車さん以外の漫画家の方の住所もおしえてくださったのです。今なら個人情報保護の観点から難しいと思いますが。

すごい親切ですよね。だから聞いたんです。「飛び込みで来た若造に、何でこんなに親切にしてくださるんですか?」って。そしたら白井さんが「人生なんて、わからねえんだよ。立場なんて、いつひっくり返るかわからないし、立場が逆になることもあるんだよ。だから人には親切にしとくんだ」って。

 


もう30年以上前、わずか1時間くらい会っただけ、でも今でも鮮明に覚えています。たった1時間会っただけでも、ぼくの中で白井編集長は数少ないメンターの1人となりました。なので、一期一会は今でも大事にしています。

―杉田さんが一生懸命に取り組まれていて、それが伝わったのではないでしょうか。

今思えばそうかもしれません。何かに必死でやってると、発する言葉が心にひっかかってもらえるんじゃないですかね。チコちゃんじゃないけど、ぼーっと生きてると発する言葉は人に引っかからない。

ただ、挫折もいっぱいしてるのですよ。だいたいの失敗はしましたね。失敗したときは、「なぜ自分だけが」とは思わないようにしています。自分程度の失敗なら、世の中の多くの人が同じようにしてるでしょうから。今、ちゃんと言えますが、失敗は大事だと言うことです。失敗こそ、人を強くしてくれるからです。

―失敗は成長するために必要ということですね。

これは養老先生がおっしゃっていたことですが、人生は全部プロセスだと。スタートがあってゴールがある、というものではない。ゴールのないマラソンみたいなものですと。

ストレスという言葉をつくった人(ハンス・セリエ)の父親が言った言葉があります。「人間の財産は金や家ではない。身に付けたものだけだ。それだけが墓場に持っていける」と。これはすごくよくわかるし、成功したこと、失敗したこと全部含めて、自分が身につけたものだけが自分に自信を与えるのだと思います。

―何かを身につけることができる、ということが大事なのですね。

たまたまぼくは編集という仕事が好きだから、それを身につけようとしただけなんですけどね。そうやってがんばってると、何があってもどうにかできるだろう、という、「根拠のない自信」がついてくるんですよね。

―「根拠のない自信」、よくわかります。とても大事ですね。

前回も大丈夫だったから、今度も大丈夫だろう、と。自分の中のビビリがなくなるんですよね。ただ、受け身で仕事をしている人、言われたことだけをやっている人は、多分持てないですよ。お茶の話なら、出し方を考えて仕事をしている人じゃないと。言われたからお茶を出しました、なら永遠につかないですね。

―最後に、杉田さんの夢をおしえていただけますか。

体力と気力が続くうちは、自分が身に付けたことを活かして、仕事していきたいですね。自分がつくった本を読んだ人が少しでも喜んでくれたらいいな、そう思っています。仕事が好きなんです。仕事しながらバッタリ逝くのもいいかな、と思ってるくらい(笑)。

ーーー杉田 淳さん プロフィールーーー 

1978年、音楽専門出版社の(株)シンコーミュージック書籍編集部に配属。ビートルズ、サイモン&ガーファンクルの洋楽、オフコースなどの邦楽の楽譜集や、日本のアーティストの写真集などを手がける。1984年、一般書の編集を学びたいと編集プロダクションに転職。主に実用書の単行本の編集を手がける。1988年、週刊SPA!創刊に合わせて、(株)扶桑社に転職。創刊から10年、週刊SPA!の編集に携わる。第五代週刊SPA!編集長となる。その後、書籍編集部、販売部、宣伝部、電子書籍部を経験。最終役職は、電子出版事業部部長。現在、定年退職後、同じく(株)扶桑社にて書籍編集を手がけ現在に至る。

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インタビュー担当:上坂浩史、小倉克夫 書記:上坂浩史

インタビューを終えて

自身の「天職」を活かして、一生現役でやっていこうとされている杉田さんは、人生100年時代を生きる私たちのよい手本だと思います。人は20の天職がある、はキャリアの選択肢を広げる、とても参考になる考え方だと思いました。

若いころにつくられた楽譜は、学生時代の私の「バイブル」でした。インタビュー後、杉田さん、小倉、上坂で、ビートルズの「アンド・アイ・ラブ・ハー」、「イエスタディ」を即興で共演。(上坂)