ある日突然訪れた、予想だにしない「キャリアの挫折」。孤立し、絶望し、自らの存在価値さえ見失いかけた苦しみを乗り越えて、笑って働ける日々を取り戻した佐藤さん。その経験から、「もう誰にも、どん底の苦しみを味あわせたくない」と強く願い、精力的にキャリア立て直しの支援に取り組んでいます。
セクハラ問題で心を病み、「キャリアの挫折」でどん底に
― こんにちは。佐藤さんの人生の転機をお伺いできますか。
大学卒業後、正社員総合職として順調にキャリアを築いてきました。それが30代後半の時、職場のハラスメント問題で人生が一変しました。それが一番の転機です。現在は、そこから再起した実体験を踏まえ、職場トラブルや離職危機に悩む方々のキャリア支援に取り組んでいます。
振り返ってみると、学生時代からキャリアの危機の連続でした。私は地方出身・一人っ子で、実家に余裕はなかったのですが、母の支援と奨学金により首都圏の大学へ進学しました。でも、まもなく母が難病で看護が必要となり、実家と病院と大学を往復する日々が始まりました。片道4時間の通学でした。なんとか留年せずに卒業しましたが、就職氷河期で地元に求人がほとんど無く、東京で就職しました。そのため約15年間、遠距離介護と仕事を両立しました。そして、父母を看取り、ようやく悲しみも癒えて、これからは自分の人生を・・・という矢先、セクハラ問題で就業困難に陥ったのです。独身で身寄りのない私にとって、会社は生きるための命綱でした。その命綱が突然切れた時、一気にどん底に落ちました。
― キャリアの危機に陥って、そこから上がるのは、本当に大変だったのですね。
真っ暗な深い穴に落ちたような日々でした。社縁、血縁、地縁と言いますが、私には社縁しかなかった。私が落ちたどん底は、現代の「無縁地獄」だったのかもしれません。
一方、今だからわかるのですが、当時の私はキャリアの危機に陥る要素を内包していました。正社員だとか、会社が安定しているとか、業績評価がオールAとか、そんな不確かなものを人生の基盤にしていました。会社での評価が自分の存在価値になっていた。自分のアイデンティティを他者の評価に委ねることがどれほど危険か、キャリア自律の重要性を痛感しています。
私の場合、長年幸せに働いてきた職場が針の筵(むしろ)に変わってしまいました。会社に申立てをしても全面否認され、応援してくれた人たちも次第に離れていきました。信頼していた人たちがいなくなる。それが本当につらかった。
今思えば、早く辞めればよかった。逃げてもよかった。でも、私は会社が変わることを信じて出社を続けました。ある日、もう限界だと弁護士に相談したら、身体がガタガタ震えて涙が止まらなくなり、そのままドクターストップになりました。号泣しながら「助けてください」と初めて言葉にできた時、自分は職場で毎日これほどの恐怖に耐えていたんだと愕然としました。自分を殺して我慢を続け、心が壊れていたことに気づきませんでした。
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「人生はやり直しができる!」―ようやく見つけた再起の手がかり―
―立ち直るのは並大抵ではなかったと思いますが、何かきっかけなどあったのですか?
私は、薬ではなく、認知を変えることで回復しました。たとえ私と同じ状況になっても、人によって受け止め方は違いますよね。私は、「メンタル不調になった自分は、もう終わりだ」と絶望していました。でも、どん底にうずくまったまま、「二度とやり直しができない」と自分に呪いをかけているのは、私自身だと気づいたのです。
そこから、再起するきっかけが2つありました。1つは、「自分を大切にしてくれた人との思い出」です。自宅に引きこもり、泣き暮らしていた夜のことです。突然、私の脳裏にある言葉が浮かびました。「美礼には、教育だけは与えてあげたい。そして、やりたい仕事に就いて幸せになってほしい」。幼い頃から何度も聞いた、亡くなった母の口癖でした。母は癌や難病と闘いながら、真冬でも夜明け前から水仕事で働き、私の学費を稼いでくれました。母の苦労が私のキャリアの礎だと改めて気づき、凄烈な怒りが湧きました。「ハラスメント問題で私のキャリアを潰すことは、母の命を踏みにじる行為だ」と。
同時に、亡き恩師や学生時代の友人、父母の介護でお世話になった方々など、これまで私を支えてくれた人たちを次々に思い出し、感謝で胸が一杯になりました。私の人生は大勢の人たちのおかげでここにある。私は独りぼっちじゃない。もう一度、人生を立て直そうと決めたのです。
それまで、私は自分を「被害者」だと思っていました。あんなに一生懸命働いたのに、あんなに理不尽な目に遭って、みんな手のひらを返したようにいなくなって…。でも、「被害者」のままでいることを選んでいるのは自分でした。自分で心のシャッターを下ろしていた。手を差し伸べてくれる人は何人もいたんです。認知を変えると、それが見えてきました。
音信不通の私を案じ、毎日メールをくれた元同僚。赤ちゃんを背負って2時間もかけて逢いに来てくれた友人。「あなたの人柄や働きぶりはよく知っている。うちの会社に来なさい」と採用を申し出てくれた取引先の社長…。
12色のクレヨンみたいだと思いました。小学校の図工の時間、クレヨンを忘れた私にクラスの仲間が1本ずつ貸してくれる。それで12色が揃う。みんなが少しずつ助けてくれる。温かな支援が集まって、立ち上がる大きな力になりました。
― 独りではないと気づいたのですね。もう1つのきっかけは何ですか?
キャリア再起のロールモデルを見つけたことです。ある日、ふと、本棚にあった長野県のガイドブックを手に取ると「高遠・囲み屋敷」が目に入りました。江戸時代、大奥のトップキャリアだった絵島さんがスキャンダルで断罪され、極悪人として囚われた座敷牢です。有名な「絵島・生島事件」ですね。この事件は政治的陰謀で、スキャンダルはでっち上げとも言われています。
「性的嫌がらせや冤罪でキャリアを失い、社会的に抹殺された絵島さんは、セクハラの被害者ではないか」。そう思い当った時、強いショックを受けました。真っ暗な部屋に閉じこもる自分と座敷牢の絵島さんが重なり、他人事とは思えなかったのです。
絵島さんは、紙も筆も与えられず、面会も許されませんでした。申し開きもできないまま28年間囚われて亡くなりますが、死後には立派な戒名を授かっています。絵島さんの生き様を見た高遠の人々は、「清い心で行い正しく、生前の功績著しい女性」という意の戒名を贈ったのです。権力者による残酷な仕打ちの中、絵島さんはどうやって心を立て直し、汚名をそそいだのか。凛と生きた300年前の女性。私には、道を指し示す優しい姉のように感じました。
― ロールモデルとしての絵島さん、どのようなところを見習いたいと思われたのですか?
1つは、「他人や世間の評価に依らず、自分が恥じない生き方をすれば良い」という潔さです。私が申立てをしたセクハラは認められず、そのことに苦しみました。でも、誰かに潔白を認めてもらう必要はない、絵島さんのように自分に誇りを持って生きれば良いと思えるようになりました。
もう1つは、心理学でいえば「態度価値」です。『夜と霧』の著者・フランクルが言うとおり、苛酷な状況でも人生の価値は自分で創ることができる。それに気づいた時、私も、厳しい現実を受け入れ、人生の主導権を取り戻しました。私にとって絵島さんは、恩人ともいえる女性です。
キャリア再起とは、あなたの人生を取り戻すこと。誰もが、もう一度幸せになれる
― キャリアの挫折を越えた後は、どのような活動をされてきたのですか?
官公庁にキャリア採用試験で入庁し、女性支援やセクハラ防止、企業の働きやすい職場づくり等に携わりました。かつて私自身が苦しんだキャリアの挫折やセクハラ問題に対し、行政の立場で施策を打つ役割を得たのです。「働く人々の転機や危機を支える仕事」が天職だと感じました。
その後、精神医学や心理学等を学び、産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの国家資格を取得して独立しました。現在は、企業・銀行・監査法人等でキャリア支援に取り組んでいます
書店やネット上には、芸能人や著名人の「挫折と栄光の物語」が溢れています。でも、企業で働く一般の人がメンタル不調となった後、心とキャリアをどうやって立て直すのか。匿名ではないリアルな実体験はどうなのか、そこを知りたい人が多いはずです。私は当事者として、支援職者として、キャリア再起の希望と実践手法を伝えていきたいと思います。
― 活動を通じて、何をめざしたいですか?
誰もが幸せに働ける「やり直しのできる社会」づくりです。挫折も失敗もタブー視するのではなく、それを力に変えて飛躍できる社会になると良いですね。日本では、組織への忠誠心が強く真面目な人ほど、負担を抱えて心を病んでしまいがちです。他方、「正規」とされるルートを一度外れると、再チャレンジできる土壌が非常に乏しい。キャリア再起を応援する社会的な仕組みと意識変革が必要です。様々な業界、様々なジャンルの方たちと連携していきたいです。
人生100年時代、転んだままではもったいない!それがキャリアの挫折を越えた私の実感です。私自身もそうでしたが、皆、転ばないように、失敗しないように、ガチガチにやっている。そして一度転んだら立ち上がれなくなる。でも、キャリアの挫折は誰にでも起こり得ます。転ばないための予防策も大切ですが、転んだ後いかに早く立ち上がるか。そこが重要だと思います。
私は、挫折を乗り越えた方々に「この経験を強みと誇りにしてください」と伝えています。堂々と生きて行けば良い。見事に立ち上がり、しなやかに生きる強さを得たのですから。
私たちがすべきことは「孤立させない、偏見を持たない、キャリアの挫折をタブーにしない」。それが「やり直しのできる社会」をつくります。タブーを破るのは、タブーを経験した人です。私自身も勇気が要るからこそ、同志を見つけて進んでいきたいと思います。
― 勇気がいる自己開示をしてくださり、ありがとうございました。一人でも多くの方に届くことを祈っています。
ーーーーーー佐藤美礼さん プロフィールーーーーーー
国家資格1級キャリアコンサルティング技能士。NPO日本キャリア・コンサルタント協会理事。
大学卒業後、両親の介護を続けながら大手人材会社等に約20年間勤務。キャリア開発、経営企画事業に従事し、人材開発室長、地域開発室長、国際戦略マネージャー等を務める。また、民間経験を活かし、官公庁のキャリア採用職員として入庁。男女共同参画、ハラスメント防止、ダイバーシティを担当。現在は、キャリア再起コンサルタント®として公益財団・企業等で研修セミナーを展開。「ハラスメントからのキャリア再起」セミナーが外務省・国際女性会議のサイドイベントに登録されるなど、キャリア支援の専門家として多方面で活動中。
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インタビュー担当:片山俊子、書記:上坂浩史
インタビューを終えて
深い闇に差し込んだ、「感謝」という一筋の光を手掛かりに、笑顔を取り戻した佐藤さん。「自分に恥じない生き方」と真摯に向き合い、使命に取り組んでいる姿は凛として輝いています。(片山)