複数の専門を基にして、広く活躍できたら?企業などの人材育成では、「Π(パイ)字形人材*」とも言われます。理学療法士としての活動で感じた課題を解決するために、大学や大学院で社会福祉も学び、広く活動することで、社会に貢献している吉川和徳さんのお話です。
* Π(パイ)字形人材:2つ以上の専門分野を持ち、それにより独創的な発想ができる人材のこと。
「歩けること」でなく、「日常生活ができる」を支援したい
― 吉川さんは理学療法士(PT:Physical Therapist)なのですね。どうしてPTになろうと思われたのですか?
車とバイクが好きだったので自動車整備士がいいかなぁ、と思っていたのが、偶然PTの専門学校を見つけたんです。養成学校は純粋にPTを目指す人ばかりでしたから驚きました(笑)。
― そうだったのですね。卒業後は医療機関に行く方が多いと聞きますが、吉川さんは区役所ですね。
今は就職先も多少拡がっていますが、当時はみんなに反対されましたね(笑)。理学療法は、座る、歩くなどの基本動作を(再)獲得するために行いますが、医療機関でのリハビリだけでは、日常生活の困りごとは解決できないことに気づいたからなんです。
在学中に、病院と地域の両方での実習から学んだことなのですが、病院で出会った方たちは「患者さん」の顔なのに、地域で出会った方たちは「普通のおじさん、おばさん」の顔をしている。症状やマヒの程度は同じなのに。。「何でだろう?」
病院のリハビリでは「歩くこと」自体が目的になりがちですが、地域では「トイレに行く」など「日常生活ができる」が目的で、歩くことはそのための手段に過ぎないのです。
病院での理学療法は、もの足りないと感じるようになりました。「日常生活ができる」を支援できる場所が区役所だったのです。
― 吉川さんの現在の活動に通じていますね。
私のキャリアの源です。
― 就職後は「日常生活ができる」を支援されていたのですね。
そうです。その人の身体の状態を把握した上で、道具や住宅環境、関わる人たちの接し方を変えることによって、「生活の中の困りごとを解決する」に取り組んでいました。しかし、2000年の介護保険制度の導入により、この内容は民間事業者がやることになったのです。
― 区役所は何をすることになったのですか?
民間の後方支援、研修や教育の提供です。わかっていたので、導入の数年前から準備は進めていました。
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「日常生活ができる」ために「身体の状態に合った環境を入手する」この考え方を広めていきたい
― 介護保険が導入された2年後、2002年に区役所を退職されたのですね。
導入の2年前、1998年ごろから限界を感じていました。民間事業者が直接サービスを提供することになったことに加えて、地方公務員という立場の限界も感じていました。
私は、自分たちがやっていたことを他の地域に広めて、制度を普及させたかったのです。しかし、他の地域のことはできないし、自分の区だって、人材や福祉用具展示場があったなど、たまたま条件がそろっていたからできたわけなんです。
― 退職の際、迷いませんでしたか?
当然、迷いました。景気も悪かったですしね。踏み切れたのは、組織でない、「吉川」という個人の人脈・ネットワークがあったこと、そして、国家資格があったこと、この二つが大きかったです。まあ、最後は清水の舞台ですけど(笑)。退職後しばらくは以前からのネットワークで、「車いすの選び方」とか、いろいろな講演依頼をいただけました。
あと、考え方がとても大切です。自身の専門性をベースにして、そこからいかに広げるか、これが大事です。私であれば、PTを立脚点にして、いかに他のこととつなげていけるか、ですね。
― 「ふつうのくらし研究所」を立ち上げた、吉川さんの思いをお聞かせください。
その人の身体の状態に環境を整える、ということに理学療法士(PT)や作業療法士(OT:Occupational Therapist)が関われる仕組みをつくり、世の中に広く普及させたい。私は、これを実現したいのです。
そのために、「福祉用具・住宅改修の活用」をもっと広めたいです。
身体の状態に合った環境を入手すれば、生活の困りごとの解決につながるし、入手できないと身体の機能自体が悪化することもあり得ます。たとえば、母親のために家に手すりをつけたい場合、母親の身体の状態を把握した上で手すりをつける必要がありますが、「身体の状態を把握する」という仕組み自体がないのです。
まず、身体に合った車椅子の活用を薦める「シーティング」の取り組みとして、2004年にNPO法人「日本シーティング・コンサルタント協会」を設立しました。シーティングについての研修などをしていくためです。
― そうだったのですね。その後、どうされたのですか?
「ふつうのくらし研究所」を株式会社化し、その後完全非営利型の一般社団法人をつくって、営利型法人と非営利型法人を組み合わせた社会的企業として、「身体の状態をみるための費用=相談料金」を回収するという考え方を採り入れたビジネスモデルを構築しました。PTやOTが身体の状態をみて、それに見合った福祉用具の活用方法や住宅改修の方策を提案するという仕組みです。
ただ、すでに市場として成立している介護保険や障害者総合支援法などの制度ビジネスとしての展開は考えていません。他社の「ライバル」になってしまうからです。それでは、「普及」の目的に合っていない。「ライバル」でなく「支援」する形で展開したいと考えています。
― とは言っても、なかなか理解されなかったのではないですか?
今でも理解されてないですよ。されていれば、もう少し左うちわなんですけどね(笑)。
私がやろうとしていることは、少し前までスウェーデンにあった「補助器具センター」という仕組みがモデルです。財政状況が悪くなったのか、今は下火になってしまいました。財政状況に左右されないよう、民間のビジネスとして広めたいという思いで取り組んできました。
― 最近はどのようなことを取り組まれているのですか?
福祉用具・住宅改修の相談にのったり、介護職員や地域住民向けの研修を行ったりする「場」づくり、仕組みづくりに取り組んでいます。直営や委託(指定管理)として同様の事業を展開している自治体もありますが、予算削減の影響もあって、その数は年々少なくなっています。さまざまな形での地域貢献を実践している方々とともに、公費に頼らない方法で具体化していきたいと考えています。
― 最後に、吉川さんの今後の取り組みをおしえてください。
「身体の状態に見合った環境(福祉用具・住宅改修)を入手することで、生活のしづらさや困りごとが解決できる」ことをもっと広めていきたいと思います。逆にいえば、「生活のしづらさや困りごとは、身体の状態に合わない環境が原因となっている可能性がある」ことを、困りごとを抱えている本人やそのご家族に知ってほしい。
一方で、「身体の状態に合わない環境が困りごとの原因かもしれない」と気付いたとしても、「身体の状態を見極めるための相談システム」がないためにうまくいかず、結局は「仕方がない」とあきらめているという方々に出会うことも多々あります。知っていただく、気づいていただくだけでなく、困りごとが実際に解決しないと意味がないわけで、「知っていただく活動」と「身体の状態を見極めるための相談システムの構築」は両輪であると考えています。
各種の研修会などを通じた「知っていただく活動=情報提供事業や教育研修事業」と、草の根レベルでの「身体の状態を見極めるための相談活動=相談事業」を展開していくことで、非営利型法人と営利型法人を組み合わせた社会的企業として、社会的事業を展開していきたいと考えています。
― ありがとうございました。
―――――吉川和徳さん プロフィール―――――
株式会社 ふつうのくらし研究所 代表取締役、一般社団法人 福祉用具活用相談センター理事長、日本社会事業大学大学院修了、理学療法士
1988年、理学療法士免許取得と同時に東京都板橋区入職。公衆衛生課保健指導係の後、1991年より新設の「おとしより保健福祉センター」(通称「おとセン」)にて、地域のお年寄りを支える仕事に従事。介護・リハビリの業界では知らない者がいないという斬新な活動を行ったが、2000年の介護保険制度の導入により、民間事業者の活動領域となる。2002年に退職した後、「ふつうのくらし研究所」を開設。体の機能をよくするだけでなく、その人の体にはどのような環境が合っているかを提案し、より質の高い日常生活ができるようになることを支援し続けている。
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インタビュー担当:上坂浩史、書記:一言映子
インタビューを終えて
世の中をよくしたい。吉川さんの熱い思いがひしひしと伝わってきました。4時間にわたるロングインタビューの中、介護環境の状況、理学療法士の仕事など、よくわかるようにていねいにご説明くださいました。「自身の専門性をベースにして、そこからいかに広げるか」は、みなに共通する大切な考え方であり、普段から心がけていると、いざ転機となったときに思わぬ力を発揮できるのではと思います。